ECチームでSNS運用・クリエイティブ監修を担当。横浜生まれ横浜育ち。大学で福祉を学んだ後、アパレルブランドでの販売・SNS運用を経て、2020年ヘラルボニーに入社。知的障害を伴う自閉症の兄がいる。
ヘラルボニーのECチームに所属する中塚美佑。知的障害のある兄との幼少期の経験が、現在の仕事に深く結びついている。大学で福祉を学び、アパレル業界を経て入社した彼女は、“本物”を提供することの大切さを説く。
SNSやECサイトを通じて、障害のある人だけでなく、その周囲の人々にもフォーカスを当てる。“障害”という言葉のない未来を目指し、ヘラルボニーならではの“美しさ”を追求する彼女の意志は一体どこから生まれたのだろうか。
“本物”を提供し、ヘラルボニーらしい
“美しさ”を追求していく
へラルボニーにおける仕事内容やミッションを教えてください。
中塚:ECチームに所属し、SNS運用・クリエイティブ監修などを担当しています。2020年にヘラルボニーに入社して以降、ポップアップの店舗スタッフから、SNS運用、クリエイティブの撮影ディレクションまで、組織や事業成長とともに自らの役割を拡張してきました。
職務が変わっても一貫しているのは、“本物であること”、そしてヘラルボニーならではの“美しさ”を追求していくこと。それを成し遂げることこそが、私がヘラルボニーにいる意味だと思っています。
“本物である”こと、ヘラルボニーならではの“美しさ”というのはどういうことでしょう。
中塚:どんな作品にも、背後にはストーリーや思いがありますよね。単なる見た目の美しさだけでなく、それがどんな思いでつくられたのか、どんな人に届けたい作品なのか。そういったストーリーがある作品は“本物”であり、“美しい”と感じるんです。
障害のあるアーティストが生み出す作品には、それぞれの人生が詰まっています。その背景をしっかりと伝え、作品の価値を適切に評価してもらうことが、私たちの役割だと考えています。
「障害のある人が関わっているから安い」とか、「可哀想だから」と情けで買ってもらうのではない。本当に良いものだからこそ、適正な価格で提供する。そんな当たり前のことを、当たり前に実現していきたいんです。
原点は、障害のある兄と
社会への“悔しさ”
そんな中塚さんの「意志」は、どんな原体験から生まれたのでしょうか。
中塚:原点にあるのは、知的障害を伴う自閉症の兄の存在です
小学生の時、同級生たちにからかわれる兄を見ても、何もできなかったのが悔しくて。他にも兄と過ごす日常のさまざまな場面で、障害のある人とその家族が直面する社会の壁を肌で感じてきました。「こんな社会はおかしい」「変えたい」と漠然と思うようになったんです。
大学は、社会福祉学科に進学しました。ファッションや料理も好きでしたが、今後の人生を考えた時「障害のある人や家族のために何かしたい」と思ったんです。
学校生活は楽しく充実していましたが、次第に自分のなかで違和感が拭えなくなっていきました。同級生たちは心優しい人ばかりでしたが「障害のある人々を助けたい」と話す彼らから「障害のある人は弱い立場にある」という無意識バイアスを感じてしまったんです。
一方で、そもそもこうした意識が生まれてしまうのは、社会構造や仕組みに原因があるとも思いました。
福祉の現場で働くことを諦めた私が可能性を感じたのが、昔から好きだったファッションでした。服は自分にとって欠かせない自己表現の手段であり、社会とのコミュニケーションツールでもある。福祉学科から転向し、新卒でアパレル企業に入社しました。
アパレル業界で3年勤めた後、ヘラルボニーに転職をするわけですが、再び福祉領域をキャリアに選んだのはなぜでしょう。
中塚:福祉業界で働きたいと思っていたものの、なかなか自分自身にフィットするアプローチが見出せずにいたところ、ヘラルボニーと出会ったんです。
学生時代にさかのぼりますが、当時アパレルブランド「MUKU」を経営していた崇弥さん(代表取締役 / Co-CEO)にインタビューをさせてもらったことがありました。私の心のなかにずっと散らばっていた“違和感”を言語化し、福祉の明るい未来をイメージさせてくれた崇弥さんの言葉に、強い衝撃を受けたんです。
ただ、当時の私にはスキルも経験もなく、あるのは“悔しさ”だけ。そんな自分が入社しても力にならないだろうと、しばらくヘラルボニーへの憧れは胸に秘めていました。
3年ほどアパレルブランドの販売員やSNS運用などの経験を積み、次のキャリアを考え始めた頃、ふと崇弥さんに連絡してみたんです。アパレルで培ったスキルや経験という“武器”があれば、ヘラルボニーで価値を発揮できるかもしれない。そう思い、2020年にヘラルボニーへのジョインを決めました。
“障害”という言葉のない
未来を目指して
この約4年の間で、ヘラルボニーを取り巻く環境はものすごく変化したと思います。中塚さん自身、実感する場面はありましたか。
中塚:たくさんありますね。SNSのフォロワーが増えたり、多くのお問い合わせをいただいたり。日常のどこかでヘラルボニーを知り、その作品に込められたストーリーや思いを感じて、アクションを起こしてくれる人が増えている手応えを感じています。
メディアでも、ヘラルボニーの作品を「障害のある人がつくったから」とか「社会貢献として」ではなく、純粋に美しいアート作品として取り扱ってもらう機会が増えました。一歩ずつではありますが、こうしてヘラルボニーの世界観が浸透していくことが、社会が前進している証だと感じています。
また、SNSを通じて、障害のある方やそのご家族から直接メッセージをいただくことも増えました。「ヘラルボニーの活動を見て勇気をもらった」「自分も何かできることはないか」といった声は、私たちの活動の原動力になっています。
そうした事業成長に伴い、ヘラルボニーにいるメンバー一人ひとりに求められるレベルも日々高くなっているとも感じます。私自身の視座もさらに高め、ヘラルボニーのミッションの実現に貢献しなくては、と気を引き締める毎日です。
最後に、中塚さんがヘラルボニーで果たしたい目標を教えてください。
中塚:目指すのは、ヘラルボニーが目指す世界が当たり前の景色になること。究極的に言えば、「障害」という言葉が必要ない社会ですね。
たとえば、心に余裕がなくなりがちなラッシュの時間帯、障害のある人が大きな声を発していたら、笑顔で接することができる人は少ないのではないでしょうか。でも、そんな風景も当たり前に、ポジティブに受け止められる世の中って、誰もが生きやすい社会でもありますよね。
そんな景色を実現するためにまず必要なのは「知る」ことだと思っています。当然ながら、障害のある人も一人ひとり個性やバックグランドが異なります。障害のある人だけではなく、その周囲にいる人々にもフォーカスを当て、彼らが社会で直面する課題や見えている景色を多くの人に知ってもらうことが大切なんです。
今もまだ、障害のあるアーティストの作品を「かわいい」「素朴」といった言葉で評価されることがあります。でも、そこには深い思いや技術が込められている。そういった本質的な価値や“美しさ”を伝えていくことが、これからの挑戦だと考えています。
それぞれの個性や能力が尊重され、誰もが自分らしく生きられる社会。そんな未来に向けて、ヘラルボニーの一員として、そして一人の人間として、挑戦を続けていきたいと思います。
ECチームでSNS運用・クリエイティブ監修を担当。横浜生まれ横浜育ち。大学で福祉を学んだ後、アパレルブランドでの販売・SNS運用を経て、2020年ヘラルボニーに入社。知的障害を伴う自閉症の兄がいる。