日本で生まれ、大学からアメリカへ留学。ITシステムインテグレーターでの法人営業経験を持ち、グローバルライセンス営業に従事。身体障害のある母を持つ経験から、障害のあるひとを取り巻く社会の見方を変えたいという思いを抱く。「かわいそうがられるほどでもない」という反骨精神と、障害のある人々と家族の未来への不安を解消したいという願いから、ヘラルボニーの理念に共感。2022年6月に入社し、現在はHERALBONY EUROPE CGO(事業最高責任者)としてパリで事業を推進している。
ヘラルボニーの海外事業責任者として、アートの力を通じて障害のイメージを変える取り組みをリードする小林恵。入社3年目にして、海外進出の舵取りを担う小林は、その追い風に大きな手応えを感じはじめている。
現在はパリ拠点で働く小林が目指すのは、障害のある人々の可能性を広げるだけでなく、社会全体の価値観を変えること。理念に共感する人々との出会いを重ね、ビジネスを通じて社会変革を実現するグローバルな視点について聞いた。
転職に迷った私の胸を打ち抜いたのは、
ヘラルボニーだけでした
ヘラルボニーへ入社するまでのことを聞かせてください。
小林:後につながる話でもあるので、まず触れておきたいのは、母の先天的な障害についてです。母は生まれつき左右の足の長さが3センチ異なり、骨格にも特性があります。幼少期から歩行や運動に困難があり、高校生の時に大きな手術も受けました。その後も股関節の人工関節化といった複数回の大きな手術を経験し、現在も日常生活においてさまざまな工夫が必要です。
母とは一緒に走ることはできないし、幼少期に母の大きな手術があったことから親元をしばらく離れて過ごす時期もありました。杖をついて過ごす母が「変なの」と小学校の同級生に指摘されたときは、授業参観に母がくることを拒んだりしたこともありましたね。日常生活の中で足場が悪いところは補助が必要だったり、公共交通機関で移動するときはちょっとした冒険になります。
そのような感情を抱いたまま、社会人へとなるわけですね。
小林:就職活動の時期には、過去に抱いたさまざまな違和感を解決する仕事がしたいと思い、どのように仕事に結びつけるべきか悩みました。でも、まずはビジネススキルをもっとも得られそうな職に就こうと。
そこで、最初のキャリアはビジネスの川上から川下まで見られるような職業で、特に成長が見込まれるIT業界の法人営業を選びました。なかでも特にグローバルライセンスの営業で実績をつくることができ、この経験はいまでも私の自信になっています。自分のなかで一つの“区切り”を感じたのが、入社7年目の頃でした。
なぜ、そこからヘラルボニーへの転職を決意したのでしょうか。
小林:前職での目標を達成し、次のステップを模索していた時に、ヘラルボニーのポップアップストアに偶然出会いました。アートとデザインの力に強く惹かれ、障害福祉とアートを結びつけるヘラルボニーの取り組みにも強く興味を持ったんです。
元々、芸術全般に強い興味があったこともあり、何らかの形でアートに関わる仕事がしたいと密かに思っていました。アートは自分の内側に目を向ける鏡でもあり、言語や理性を超えて本能に訴えかけることで、人に気づきを与えられるものだと思うからです。そういったアートやクリエイティブの力を使って“障害”のイメージを変えていくというヘラルボニーの取り組みに、大きな可能性を感じました。
働くことも意識しましたが、当時のヘラルボニーには法人営業の役割がなく、自分の経験を活かせる場所があるか不安でしたが、東京パラリンピックのプロジェクションマッピングなど、次第にBtoBのプロジェクトも増えているフェーズだったんです。
自分の経験とヘラルボニーが持つ「社会を変えていきたい」という方向性が一致していましたし、自分が胸を打ち抜かれたのはヘラルボニーしかなく、他の転職先を考えても心が動くものがなかったので、思い切って応募しました。
困難な経験も、
自分の人生の「正解」にしたいんです
大学からアメリカへ渡ったきっかけを教えてください。
小林:私の母は通訳や翻訳の仕事を夢見ていたのですが、障害のために諦めざるを得ませんでした。母は我が子に「言語を学び、グローバルに活躍する力をつけてほしい」という強い思いを抱いていたんです。私自身も海外や異文化への強い興味から、中学3年生の頃から真剣にアメリカの大学進学を目指しはじめました。
その後、親元を離れた異国・異言語での大学生活を通じて、自分という人間のルーツや個人としての輪郭を強く認識するようになりました。その過程では、それまでの人生のあゆみに対して疑問を持ったり、育った家庭環境や経験を否定することで、新しい自分をなんとか築こうとしたり。いろんな価値観に触れることで、精神的に不安定にもなった時期もありましたが、カウンセリングを受けながら、自分の感情と向き合い、自己への認識と家族との関係を再構築する過程を経験できたのは、人生においても大きな出来事でしたね。
そういった経験を通じて、小林さん自身にどのような気づきがありましたか。
小林:最終的に、自分のアイデンティティは家族や生い立ちと切り離せないものだ、と理解しました。一見、ネガティブな経験も自分の人生を形づくる要素には変わりません。
しんどかったことを全てなくすこともできないし、その経験があるから、人の気持ちを想像しようと思える。母の痛みは理解しきれないと知っているからこそ、他人のことは完全に理解できなくとも、少しでも向き合いたいと思える。経験を重ねるほど、他人の気持ちをより深く理解しようとする姿勢や、自分の経験値の広がりを感じられました。
困難な経験を通じて得た気づきや成長を生かすことで、これまでの自分の人生を「正解」にしたい。この思いが、今の原動力にもなっています。
何十億円もの契約書より、
嬉しかった
ヘラルボニーに入社して、自身にどういった変化を感じていますか。
小林:入社して最も嬉しかったのは、同じような悩みや葛藤を持つ仲間と出会えたことです。以前は周りに自分と似た経験のある人があまりいなかったので、思いを共有できる環境に身を置けたことが大きな喜びでした。これまでは「家族のためにすごく頑張ってて偉いわね」とか、「めぐの家は色々と大変だもんね」とかいったトーンで接せられたり、なんだか特別なことのように気を遣われたりすることがありました。自分の日常が他人にとっては日常ではない、ということを感じて、時には「なんでうちはこうなんだ・・・」とやるせ無い気持ちになったり。
社会に対する違和感も含めて、同じ視点で世の中を見ていたり、その視点そのものを共有できる感情を持っている人たちがいることが、まずは嬉しかったですね。混じり気無しに、「社会をよりよくしたい」という純粋な思いを、ビジネスを通じて実現しようと本気で取り組んでいるヘラルボニーは、自分の本当の感情を共有できる環境です。「ここで自分は解放されたな」と思えました。
障害のある家族を持つ経験から得たものもたくさんあります。それによって見えてくる社会の面白さや人の心の美しさもあります。そういった良いことも悪いことも率直に共有し、より良い方向に変えていこうとするヘラルボニーの姿勢には、深く共感しています。
入社からの2年間を振り返り、価値観や意志がよりが強くなったのですね。
小林:そうですね。自分が信じたかった「こんな社会が欲しい」と願う希望がより強くなりました。ヘラルボニーという組織、異彩作家の作品の力、会社の理念、メンバーの魅力、ファンでいてくださるお客さまを通じて、自分が抱いていた可能性がより現実的なものになったと実感しています。
特に印象的だったのは、入社初日に同席した商談です。取引先の方々がヘラルボニーの理念に深く共感し、一緒にビジネスを通じて社会を変えていこうとする姿勢に、胸が熱くなりました。何十億円もの契約書にサインをもらうことよりもワクワクしました。もちろん難しさや悔しい思いも沢山してきましたが、それを含む一つひとつの積み重ねが、この2年間だったと思います。
ヘラルボニーは、LVMHが主催するスタートアップアワードで、日本企業として初めてファイナリスト18社に選出されました。その授賞式の前夜、LVMHグループのCIOであるFranck LE MOALさんから、ヘラルボニーが「このアワードの中のサンシャイン」であり、「これほどストーリーとヒューマニティを感じられるスタートアップは初めてだ」と応援のお言葉をいただきました。
私たちが掲げている理念や思いに共感してくださる人が、日本を超えて世界中にいるという希望を強く感じた瞬間でしたね。それに、異彩作家たちが嬉しそうな顔で商品の写真を持っている姿を見ると、さらに頑張ろうという気持ちになります。
この人たちと、もっといろんな世界を見たい。現在の拠点はパリですが、今までと変わらない思いで、今日も作家の異彩を届けていきます。
日本で生まれ、大学からアメリカへ留学。ITシステムインテグレーターでの法人営業経験を持ち、グローバルライセンス営業に従事。身体障害のある母を持つ経験から、障害のあるひとを取り巻く社会の見方を変えたいという思いを抱く。「かわいそうがられるほどでもない」という反骨精神と、障害のある人々と家族の未来への不安を解消したいという願いから、ヘラルボニーの理念に共感。2022年6月に入社し、現在はHERALBONY EUROPE CGO(事業最高責任者)としてパリで事業を推進している。