MY ISSUE / 005

〝ラブアンドピース
人生を

M.C. BOO プランナー

アカウント事業部で、プランニングを担当。1996年にビースティ・ボーイズと共演したライブがレコードになり、全米デビュー。その後、「脱線3」としてメジャーフォースよりアルバム「バチルカ」をリリース。その後はエピック・ソニーと契約。近年は音楽活動とともにアマナで広告からアートイベントのプロデュースまで横断的に関わりながら、さまざまなメディアでストリート・スポーツとカルチャー、Web3の魅力を伝えている。昨年、Ralph Laurenのキャットストリート店にレジェンドDJを集めて開催した週末限定のブロックパーティ「WEEKEND DJ BOOTH」が話題に。

ヘラルボニーが日本から海外へチャレンジするフェーズである今、海外ブランドや国内の有数なアーティストとのコラボプロジェクトを主導するM.C.BOO。

彼のキャリアはまさに唯一無二だ。高校時代にMCとしての活動をスタートさせ、1996年に全米デビュー。その後、吉本興業に所属し、ミュージシャンの枠に留まらず、放送作家としても人気番組の制作に携わった。

近年はアマナで広告からアートイベントのプロデュースまで横断的に関わりながら、さまざまなメディアでストリート・スポーツやカルチャーの魅力を伝えている。

そんな最中に宣告された、舌がんステージ4。闘病を経て、見事に克服するも、M.C.BOOの生き方に大きく影響を与える転機になった。そんな彼のこれまでを遡り、そして新たな挑戦の舞台としてヘラルボニーを選んだ背景を聞いた。

ヘラルボニーにおける
「M.C.」としての役割

へラルボニーにおける仕事内容やミッションを教えてください。

M.C.BOO:カルチャー領域で数十年にわたり培ってきた経験を生かし、異才を放つ作家とともに作品をつくり出し、社会にポジティブなインパクトを与える仕事をしていきたいと思っています。2024年8月に入社したばかりなのですが、すでにいくつか大きなプロジェクトが動きはじめています。まだ具体名は発表できないのですが、海外ブランドや国内有数のアーティストとのコラボレーションなど、今後ヘラルボニーが日本から海外へチャレンジするため、クリエイティブ系のプロジェクトを中心に主導していきます。

振り返れば、高校時代にHIPHOPに出会ってMCとしての活動をスタートさせてから、一貫してストリートの中心に身を置き、当時は“サブカルチャー”だったものが“メインストリーム”として社会のなかで認められていくのを間近で見ていました。自身がアーティストとして全米デビューおよびメジャーデビューを経験したり、吉本興業にアーティスト/タレントとして所属したり、放送作家としての活動も。その後、自身のコンテンツ制作会社を立ち上げ、ストリートカルチャーやスポーツ領域を中心にクリエイティブ面でのクライアントワークも行うようになりました。そうした時期よくお仕事を共にしていたのが、前職であるアマナです。あるきっかけから声をかけてもらい、入社から7年ほどクリエイティブ・プランニングのお仕事をさせてもらいました。

近年ではクリエイティブディレクターのような役割で仕事を担うことが多いかと思うのですが、未だに活動の原点である「MC」を名乗るのにはどんな思いがあるんですか。

M.C.BOO:M.C.には「マスターオブセレモニー(master of ceremonies)」という意味があります。オールドスクールと言われるHIPHOPの聡明期において、MCの役割はDJの選曲にあわせたパーティーの進行と盛り上げ役だったので、喋ったりラップする人は「M.C.」を名乗っていたわけです。

ただ現在はその意味も変わりつつあります。どちらかといえば、テレビ司会者のイメージが強くはないでしょうか。僕はクリエイティブの仕事が増えて来たときから、マーケティングの観点でマスターオブコミュニケーション(master of communication)の意味も追加しました。90年代の日本ではサブカルチャーとして認識されていたいくつもの事柄が現在では、世界中で「アーバンカルチャー」として共通言語になっています。昔は革靴を履いていた大人が今では普通にスニーカーを履き、ヒップホップも市民権を得て、ストリートダンスやスケボーはオリンピック種目になった。

たとえ知らない国に行っても、Tシャツとスニーカーの話題で誰とでも会話ができる。昔はサブカルチャーとして傍流にあったものが、それくらい共通言語になっているんです。こうした文化的背景がある今、僕の役割は人生に渡り培ってきた知見と経験を生かして、さまざまなジャンルへギャザリング(融合)させていくことだと思ったんですよね。

舌がんを克服し、
生き方が変わった

ヘラルボニーにはどんなきっかけで入社することになったんですか。

M.C.BOO:アマナに在籍中だった5年前の春、僕は舌がんステージ4を宣告されて緊急入院したんです。闘病と手術を経てなんとか復活し、少しずつ仕事にも復帰。おかげさまでコロナも乗り越えることができました。あれから5年が経過して寛解するタイミングで、僕は人生のターニングポイントとして、新たなチャレンジをするべくアマナを退職することを決めました。

病気になってから「なんのために仕事をするのか」を深く考えたんです。これまでの仕事を振り返ると、どうしても自分を主体にしていた側面が多くありました。今後は、これまで自分が仕事を通じて培ってきたクリエイティブによって、直接的に社会がよりよくなるための仕事がしたい。

さまざまな選択肢があるなかで、あえてへラルボニーを選んだわけですね。

M.C.BOO:フリーで活動する選択肢もありましたが、それでもヘラルボニーに入ることを決めたのは、チームワークを持って仕事をしたかったからです。昔、アメリカ人のグラフィックアーティストの友達に「チームワーク=ドリームワーク」という言葉を教えてもらったことがあります。世代や人種を超えたチームワークだけが生み出せるクリエイションやイノベーションがある。ヘラルボニーでは、まさにドリームワークを追求したい。そう思い、転職を決めました。

“ラブアンドピース”を願って

BOOさんがヘラルボニーで果たしたい目標を教えてください。

M.C.BOO:ヘラルボニーを日本だけじゃなくて世界にも広げていき、より普遍的な存在にしていきたいですね。日本ではまだ「健常者のアート」と「障害者のアート」がまだまだ分け隔てられていますが、その敷居を取っ払い、フェアに評価される状態にしていきたいですね。その先に、少しでも愛と平和の溢れる世界の景色をみてみたい。ラブアンドピース、願うのはそれだけです。アートのメッカと言われるニューヨーク、パリ、あるいは香港で展示もやりたいな。

最後に、ヘラルボニーの採用候補者の方にメッセージをお願いします。

M.C.BOO:ヘラルボニーに入るにしても、入らないにしても、その意思決定は間違っていないと思います。まずは自分の意思を尊重してほしいですね。もちろん後ろ向きになってしまうこともあると思います。ただ、自分がその選択をしようとしている時点で、何かしらポジティブな作用は必ずあるはず。がんに向き合い、生き方が変わった僕がまさにそうでした。思ったことはまずがやってみる。その瞬間の気持ちを、大切にしてほしいですね。

M.C. BOO プランナー

アカウント事業部で、プランニングを担当。1996年にビースティ・ボーイズと共演したライブがレコードになり、全米デビュー。その後、「脱線3」としてメジャーフォースよりアルバム「バチルカ」をリリース。その後はエピック・ソニーと契約。近年は音楽活動とともにアマナで広告からアートイベントのプロデュースまで横断的に関わりながら、さまざまなメディアでストリート・スポーツとカルチャー、Web3の魅力を伝えている。昨年、Ralph Laurenのキャットストリート店にレジェンドDJを集めて開催した週末限定のブロックパーティ「WEEKEND DJ BOOTH」が話題に。

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へラルボニーのメンバーは、多様なイシューを持ち日々の仕事に向き合っています。一人ひとりの原体験や意志は、社会を前進させるポジティブな原動力に変わります。