MY ISSUE / 002

人生をかけて
追いたいと思えた

桑山知之 クリエイティブディレクター

アカウント事業部クリエイティブディレクター。1989年名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、2013年に東海テレビ放送入社。記者・ディレクター、ドキュメンタリーCMプロデューサーなどを経て、2023年ヘラルボニーに入社。

テレビ局での10年間のキャリアを経て、2023年にヘラルボニーに入社した桑山知之。現在はアカウント事業部のクリエイティブディレクターとして、多岐にわたるプロジェクトを統括している。

桑山が目指すのは、クリエイティブを通じた社会変革、そして「価値」の再定義だ。なぜ10年勤めたテレビ局を離れ、ヘラルボニーを選んだのか。そして、クリエイティブの力で社会をどう変えていきたいと考えているのか。その意志に迫った。

クリエイティブを通して
世の中の「価値」を捉え直す

桑山さんの経歴、ヘラルボニーにおける自身の役割を教えてください。

桑山:新卒から名古屋のテレビ局で約10年間、報道記者・ディレクター、ドキュメンタリーCMのプロデューサーを務めてきました。2023年4月にヘラルボニーに入社し、現在はアカウント事業部のクリエイティブディレクターとして、企業や団体との協業プロジェクトにおけるクリエイティブの責任者を務めています。

僕のミッションは、クリエイティブのクオリティを担保し、社会へのインパクトを最大化させることだと認識しています。前職の知見も活かし、広報活動や映像制作などの領域における全社横断の動きも担っています。

ヘラルボニーでの仕事を通して成し遂げたい“意志”はどんなことでしょう。

桑山:今社会で「不要」「価値がない」とされているものに価値を見出し、命を吹き込むことです。

何が「必要」なのか、何を「価値」と定義するのか。それは、時代によって、人によって、捉え方は変わっていくでしょう。忙しなく過ぎていく我々の日常のなかで、「なくてもいい」とされるものに目を向ける人は多くないかもしれません。でも、僕は「なくてもいい」とされるものの輝きを大切にして生きていく選択もあるんじゃないかと思うんです。

ヘラルボニーは創業以来、障害のある方のこだわりや才能をあえて「異彩」と捉えることで、世の中の障害や福祉に対するネガティブなイメージを払拭してきました。「ヘラルボニー」という社名には、一見意味がないとされるものに「価値あるもの」として光を照らしていきたいという思いも込められています。

こうした革新的なヘラルボニーの事業価値や思いを最大化させるクリエイティブをつくり、世に広く届けることで、今の社会における「価値」を捉え直すことにもつながると信じています。

「人生をかけて追いたい」と
思える対象が見つかった

桑山さんがヘラルボニーに転職を決めた理由を聞かせてください。

桑山:一言で言えば、「人生をかけて追いかけたい」と思える対象が見つかったから、でしょうか。

2018年、発達障害のある漫画家さんを取材して以降、僕自身も「障害」について考えることが多くなって。その後『見えない障害と生きる。』というドキュメンタリーCMを制作したことで、より深く障害や福祉の分野に興味を持つようになりました。

ちょうどその頃に、ヘラルボニーの意見広告が話題となり、その存在を知りました。障害や福祉という難度の高い領域に、前例のないアプローチで挑んでいる。そして何よりも、ヘラルボニーが打ち出すメッセージやクリエイティブがクールでかっこよく、美しいと感じたんです。それは、報道や番組制作の現場に長く携わってきた僕にとっても大きな衝撃で、強烈に惹かれるものがありました。

その後、仕事を通してヘラルボニーとの関わりを深めるたびに、僕のなかでその存在感がどんどん膨らんでいき、「自分もそこに身を置きたい」という気持ちが自然と高まっていったんです。

報道やドキュメンタリーから離れることに、後悔はなかったのでしょうか。

桑山:全くないかと言われると嘘になりますが、ヘラルボニーであれば「自分の思いが実現できる」と思ったのは確かですね。

物心ついた頃から、「自分が生きた証を残したい」という強迫観念にも似た思いを抱いてきました。テレビ局で報道やドキュメンタリー番組制作に携わるなかで、選ぶ映像や言葉で伝わるメッセージが全く変わること、自分にできることがたくさんあることを知りました。それに、制作に携わったドキュメンタリーCMが大きな反響をいただいたことは、率直に嬉しい出来事でした。

ただそのうちに、もっと多くの人に自分の作品を届けたい、より社会に大きなインパクトを与えたいと考えるようになっていったんです。報道やドキュメンタリーから離れたというか、今もへラルボニーという活動をカメラ片手に追いかけているような感覚すらあるんですよね。

福祉や障害の当事者でなくても
“意志”さえあれば輝ける

実際にヘラルボニーで働いてみて、入社前からの印象に変化はありましたか。

桑山:入社前よりも、へラルボニーのことが好きになりましたね。日々、好きになっていると思います。もちろん、スタートアップ企業ですから、変化も激しく、大変な局面も多くあります。でも、そんな変化も楽しめるほど、日々やりがいに満ちているというか。

入社して驚いたことの一つとしては、他の企業さんやお客さまから、すごく温かいお言葉をかけていただく機会が多いこと。そうした評判やコメントを社内で共有する時は、本当に体温が上がる瞬間だなと感じます。

ヘラルボニーの「中」で働くメンバーである以上に、僕はずっとヘラルボニーの熱狂的な「ファン」なんです。だから、「本当に自分が欲しい、良いと思えるか」というファンとしての等身大の視点が、制作にも活かされているのだと思います。もしかすると、ヘラルボニーで働く仲間のほとんどが、似たような感情を抱いているのかもしれません。

組織が大きくなるにつれ、メンバーの属性もバックグラウンドも、実に多様になっていると感じます。僕のように強い福祉や障害の当事者ではない人もたくさんいます。むしろ、さまざまな視点が存在した方が組織はより強くなりますよね。

だから、原動力は人それぞれでいい。ヘラルボニーが掲げるミッションに共鳴する「意志」さえあれば、輝ける場所はたくさんある。そう考えています。

最後に、桑山さんがヘラルボニーで果たしたい目標を教えてください。

桑山:僕個人としては、クリエイターとしての成長も忘れたくありません。自分自身やクリエイティブに対して、常に真摯に、ストイックに品質を高めていきたい。

かつて僕がヘラルボニーに惚れ込んだように、「純粋に美しいから、かっこいいから広めたい」と共鳴してくれる輪を少しずつ広げていくことが、ひいては事業や組織の成長、社会変革につながっていくと思っています。

「異彩を、放て。」ーーヘラルボニーが掲げるミッションは、いわば本気で社会を変革し、前に進めたいという「意志」でもある。この壮大な目標を実現することは、当然ながらヘラルボニーという組織単体で成し遂げられるほど容易いことではありません。活動の輪をどんどん広げた先に、どんなことが起こるのか。僕が一番ワクワクしているかもしれません。

桑山知之 クリエイティブディレクター

アカウント事業部クリエイティブディレクター。1989年名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、2013年に東海テレビ放送入社。記者・ディレクター、ドキュメンタリーCMプロデューサーなどを経て、2023年ヘラルボニーに入社。

MY ISSUE

へラルボニーのメンバーは、多様なイシューを持ち日々の仕事に向き合っています。一人ひとりの原体験や意志は、社会を前進させるポジティブな原動力に変わります。